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2020.6.10

【コラム8】まちなみが新しいガラス文化と交わり光る歴史街道―滋賀県・長浜

カテゴリー:COMからのお知らせ, まちづくりフロンティア

                     ※記載内容は『まちづくりフロンティア』発行2005年時点のものです。
 
 
■さまよえる地方都市の希望の星  
全国の地方都市の多くは、そのまちのハートとも言うべき中心市街地が疲弊し、深刻な悩みを抱えている。このままではほとんどの都市から、長い年月をかけて培われてきた商店街や住宅、祭りや食事などを含む生活文化も、一緒に消える日も近い。 
そんなことで良いのでだろうか。この問題に真剣に取組んでいる都市は余りにも少なく、仮に一生懸命やっていても一向に成果があがらないところもある。 
そんな中にあって、長浜は間違いなく活性化をいち早く成し遂げたスター的存在である。
 
1988年(昭和63年)、黒漆喰の壁をもつ明治建築の「旧黒壁銀行」がまちの中心にポツンと残っていた。そこで、地元有志数人と行政がタイアップする形で株式会社黒壁を設立して買上げ、まわりの空き地や土蔵を含めて見事ガラス館とガラス工房、フランス料理店を持つ一画「黒壁スクエアを登場させる。以来株式会社黒壁は、周辺の空き地や空き店舗を次々と買上げ、または借上げてリニューアルし、新しい魅力あるギャラリーや店舗に再生。15年足らずの間に30号館まで完成させている。この一連のプロジェクトだけで年々集客力を高め、年間200万人を超えることになる。
 
一見「観光客寄せ装置」に見えるが、そうではない。ここから質の高い創作品が生み出され、若い工芸家が育ち、地域の人たちの交流の場ができ、文化的再生を果たした。そしてそのインパクトは、着実に長浜のまちの中に広がり、浸透していったのである。
 
実を実らせた背景には何があるのか。1つ、2つのことをこのまちから学ぶだけでは不十分であり、リーダー、そしてグループ、経営能力、行動力、それを支える志や哲学、行政の支援システムなど、まちづくりは多くの要素が絡み合う中で力を発揮する。そのディテールを長浜から多くの都市が学ぶことを切に願う。
 

長浜再生のシンボル「黒壁スクエア」

長浜再生のシンボル「黒壁スクエア」


日本全国、世界のガラス作品が集まる「黒壁ガラス館」 ※黒壁HPより

日本全国、世界のガラス作品が集まる「黒壁ガラス館」 ※黒壁HPより


 
 
■新しいステップに向かった「黒壁」  
黒壁を軸とする事業の波及は極めて多方向に広がりを見せた。黒壁として生み出された30店舗と、そのほぼ2倍の店舗展開がその波及により進行したこと。「きもの大園遊会」「芸術版楽市楽座(アートインナガハマ)」をはじめ、数々のイベントの原動力となったこと。そして何より重視すべきは、株式会社黒壁のほかに、中心市街地のまちづくりのためにいくつもの会社・組織が設立されたことである。それらがクモの巣のようなネットワークとなったタウンマネージメント体制が構築された。
 
【株式会社新長浜計画】1996年設立・資本金8000万円 
オルゴール堂が入っている建物を買い戻すことをきっかけに設立。その後駐車場経営やプラチナプラザの管理、まちづくり役場の運営なども行っている。
 
【プラチナプラザ】1997年開設・高齢者約50人が一口5万円を出資 
高齢者が運営する実験店舗を空き家や空き店舗活用として実施。高齢者が得意な分野として、地域住民の生活ニーズに応える「野菜工房」「おかず工房」「リサイクル工房」「井戸端道場」の4つの事業を一番空き店舗の多い商店街で運営。
 
まちづくり役場1998設立(2003年に特定非営利活動法人) 
商店街の伝統的建物の空き家を借り受けて事務局を開設。観光ガイド、高齢者への仕事のバックアップ、各地のまちとのネットワークづくり、まちづくりの後継者育成、まちづくりグループや大学との連携事業、各種イベント企画等さまざまな活動を展開。プラチナプラザ事務局や黒壁グループ協議会事務局としての役割も担っている。
 
※その後、長浜まちづくり株式会社(2009年設立・資本金7200万円)、神前西開発株式会社(2009年設立・資本金200万円)、株式会社長浜まちの駅(2010年設立・500万円)などが設立され、活性化の推進体制が構築されている。 
金物店であった旧商家にある長浜まちづくり役場 ※長浜まちづくり役場HPより

金物店であった旧商家にある長浜まちづくり役場 ※長浜まちづくり役場HPより


 
 
■「まちを飾る」から「まちのパワーアップ」へ  
長浜では、一時期黒壁の一画だけが賑わっているかの印象を与えていたが、行政、商工会議所、商店街が連携しながら着実に魅力・集客エリアを拡大し、2000年には曳山博物館が開館。その前年には黒壁の新展開である「感響フリーマーケットガーデン」を開場し、回遊性があり、滞在時間の長いまちへと発展し続けている。
 
しかし一方で、大型店の規制緩和の流れはここでも止まることを知らない勢いで、郊外化を加速させている。
中心部の定住人口の減少傾向にも歯止めが効かず、この20年間(2005年時点)で約6千人が郊外に移転。定住人口の減少と観光客の激増は、地域商業を観光型に移行させてきた。そのなかで、店舗の質においても玉石混交の面が見られ、各個店のレベルアップはもとより、まだまだやるべきことは山積していた。
 
長浜はもともと「博物館都市」をめざしてきた。もちろん器としての博物館をつくる事ではなく、まちぐるみ・屋根のない博物館をイメージしている。世界で大きな潮流となったエコ・ミュージアムの随分早い先取りでもある。町家建築やその中での生活、職人技、地場産業、伝統文化などを合わせて、小さくても本物のミュージアムをまちの中に散りばめていくことを意識的かつ組織的に行うことで、効果を高めてきた。
 
長浜におけるまちづくりの新たなステージへの展開として、もうこれ以上大量集客を望むことはないのではないだろうか。
大型バスで乗りつける団体を求めなくても良い。まちと対話し、交流する、体験する、時間をかけて楽しみ味わってくれる人たち、そしてリピーターをどれだけ増やしくていくかである。そのノウハウとシステムは、黒壁のまわりに十分ストックされている。
これからも長浜から目が離せない。 
※長浜まちづくり㈱HPより

※長浜まちづくり㈱HPより


 
※さらに詳しい内容は、全国各地のまちづくりのフロンティアたちと当社代表高田の対談をまとめた『まちづくりフロンティア』(オール関西 2005年)をぜひご覧下さい。

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