COM計画研究所は、道路から広場、建築、そして自然と文化等を一体として捉え、生活環境として、住民の手によるまちづくりとして育むことをめざしています。
2017.4.4
「寂れた商店街でも本当に活気を取り戻せるのか。」「これだけまちなみが乱れたら手遅れではないか。」「観光でにぎわう日がまた来るのか。」「この計画は本当に実現するのか。」・・・そんな疑問が一度や二度は出てくる。
でもそう思った途端に終わりである。
「出来るか、出来ないか」ではなく、「よく考え、努力すれば出来る」のがまちづくりの妙味である。賭け事ではない。部屋の床は掃除すれば必ずきれいになるのと同じくらい普通のことである。
まちづくりの勉強会に長浜の講師を招いた時、「長浜ではなぜ成功したのか、何か特別な秘訣があったのか。」という質問に対して、「行政も市民も両者がはみ出したからだと思う。」と回答されたのが印象に残っている。
行政は従来の行政の枠にとらわれず、どんどん「民間」の領域にも入り、市民は「公共」の分野に踏み込んでいく。行政がやれば「公」、民間がやれば「個」という線引きにこだわる限り、まちづくりは進まない。誰がするかとは関係なく、広い意味では、まちのためになることはすべて「公」とも捉えられる。要は何が大切なのかを考え行動することだろう。
これまでの慣習からして、自分の立場でやるのが良いかどうかという物差しを捨て、まちにとって良いことは気づいた人がする、という行動規範をもつことである。
行政や商工会議所・商工会、商店街、商店主、企業、自治会、住民、学者、コンサルタント・・・まちづくりに関わる様々な組織や個人がこれまでの自分たちの枠の中にいる限り、詰まるところ何も変わらない。これまでそれぞれでやるべきことを精一杯やって今の有様なのだ。
逆にみんなが枠をはみ出し、目標を共有して行動すればそのパワーは計り知れない。私自身がガーデニング講座の講師をかって出たり、ショップづくりのプロデュースに乗り出すのも、そんな考えからである。
ひとつコツがあるとすれば、「ヘマをしない」ということだろう。今日の多くのまちに近いものが日本に登場して400~500年が経つ。実はその間、今のように活性化だの再生だのと色めき立つことなく、まちは維持され、多少の浮き沈みはあっても着々と発展して昭和の時代を迎えたのである。歴史的連続性をしっかり保つ限り、まちは健全であったという長く重い歴史を知るべきだろう。その中に無限の知恵と資源が秘められている。
そして戦争に明け暮れ、急激な経済成長を追い、自然と歴史を軽視する半世紀余りの間に、日本の多くのまちは駄目になったはずだ。
そんなヘマを繰り返さない。
平和を大切に、自然と歴史を尊び、無理のない発展を願う、という考え方を、どうすれば日々のまちの営みの行動プログラムとして組み込むことができるのかが、コツと言えるだろう。
例えば、質の良い、コストをかけすぎない店や住まいをひとつひとつ創り出す。手づくりの工芸や職人仕事のような、小さくても高い水準のモノづくりを積み上げる。温かく、助け合える隣人関係をさりげなく築く。子育てや高齢者の安心をまちぐるみで支える。
そういう類のことが組み合わされることで、必ずまちづくりは前進するのである。天才や超人がいなくても出来ることばかりである。
「足元を掘れ、そこに泉湧く」というニーチェの言葉通りだと思う。
『まちづくりフロンティア』(オール関西 2005年)をぜひご覧下さい。
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