COM計画研究所は、道路から広場、建築、そして自然と文化等を一体として捉え、生活環境として、住民の手によるまちづくりとして育むことをめざしています。

株式会社 コム計画研究所

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2016.8.9

【コラム4】住みたい、訪れたいまちとは―まちのあるべき姿を見極める眼力

カテゴリー:COMからのお知らせ, まちづくりフロンティア

「うちのところでも、まちづくりはやってるよ」と言われるが、その内容は、高層の再開発ビルを建てただけだったり、シンポジウムやワークショップ、イベントだけをやり続けているというケースが多い。前者は「まちづくりもどきのビル建設」であり、後者は「まちづくり遊び」と言えることが多い。しかも、よく「まちづくりの事例」として紹介されるのは、その類であることも少なくない。もちろん再開発もイベントも、まちづくりのツールとしては重要である。しかし、それのみでまちがどうなるものでもない。

まちづくりは、端的に言ってしまえば、そこに住む人たちのココロとフトコロが豊かになってこそ「なんぼのもの」である。そのためには、現実の事象としてまちの姿が良い方向に変わり続けなければならない。

よく「まちづくりの起爆剤」を求める声を聞く。「何か目の覚めるようなことを提案してほしい」とくる。仮にそのアクションが起こせたとして、その先のビジョンを問えば、「きっかけさえ出来れば後はなんとかなるはず」という何とも無責任、無防備な答えが返ってくる。「まちづくり」という言葉が、人によって都合よく使われていたり、何か一発逆転が期待できるものとして理解されているのだろう。

「まちづくり」を唱えながら、そもそもどんなまちをつくろうとしているのか。まちを変えていく、そのめざす目標はどこにあるのか。このことに対して余りにもあいまいな場合が多い。しかも、同じまちのなかでイメージが両極に振れていることがある。ある人は立派なビルや大量の集客施設をつくれば良しとし、またある人は、ハードよりもプロセスだと割り切って、研修や見学会、ビジョンづくりだけに何年も費やしている。どちらもバランスを欠いている。

どこまでも続く緑の帯と白壁に心の中にもさわやかな風が流れる(萩)

どこまでも続く緑の帯と白壁に心の中にもさわやかな風が流れる(萩)


 

山口県・萩や長野県・小布施に居ると、まちとはこんなにも
居心地が良いものかとつくづく感じさせられる。昔ながらの
通りや建物の佇まいをしっかり保ちつつ、街角にシックで品
の良いショップやカフェがある。朝のコーヒータイムから夜
のバータイムまで24時間の生活が楽しく、充実感を覚えつ
つ過ごせる空間とサービスが整えられている。歩く道ひとつ
とっても、飾り過ぎずに美しいというように。私たちが住み
たい、訪れたいと感じるのはそんなまちのはずだ。

 

自然と文化、そして生活がていねいに守り、引き継がれ、つくり込まれ、きめ細かく手入れされ、時の流れにも程よく気配りがされる。よくよく見れば、まちとしての当たり前の仕草である。穏やかに、充実した時間の流れるまちがまず基本だろう。

しかし今、それが無意識に出来る時代ではない。余程しっかりした意志を持ち、腰を据えてかからないと、まちは行く手を見失う。
今、危機感を募らせている多くのまちは、実はそんな不断の努力を怠っていたのかもしれない。その分取り戻すピッチを上げなければならないが、何か特殊な、大掛かりな発想は、大抵のまちづくりには無用である。東京の六本木、丸の内、汐留といったところの動きは、まちづくりとは異質の出来事である。あの種の開発がこれからも続く異常さは考えにくい。私たちの日々の暮らしが、大宴会を毎日繰り返すようなものではないように。
まちのあるべき姿を見極める眼力を持ちたい。

 

カフェレストラン傘風楼にはショップ、ガーデンテラス、ショットバーも。モーニングからナイトタイムまでここで満たされ、小布施が都市であることを証明している(小布施)

カフェレストラン傘風楼にはショップ、ガーデンテラス、ショットバーも。モーニングからナイトタイムまでここで満たされ、小布施が都市であることを証明している(小布施)

小布施堂の一角と北斎館など、まわりを繋ぐ栗の木れんがの小径(小布施)

小布施堂の一角と北斎館など、まわりを繋ぐ栗の木れんがの小径(小布施)


 
※さらに詳しい内容は、全国各地のまちづくりのフロンティアたちと当社代表高田の対談をまとめた

まちづくりフロンティア』(オール関西 2005年)をぜひご覧下さい。

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